新宮市議会 2022-12-14 12月14日-03号
新宮市議会で人権啓発の大切さを活動してきたのは、大西より活動しやる人、大石誠之助、名誉市民にするときからずっと、なぜ大石誠之助を名誉市民にせんならんかずっと説いてきやる。だから、人権思想を啓蒙した大石誠之助を名誉市民にすることによって、人権の大切さをみんな学ぶことになると、ずっとやってきたんや。大石議員がそんな人権のことを言いやるの聞いたこともないし。 それで、なぜ大石誠之助を名誉市民にするか。
新宮市議会で人権啓発の大切さを活動してきたのは、大西より活動しやる人、大石誠之助、名誉市民にするときからずっと、なぜ大石誠之助を名誉市民にせんならんかずっと説いてきやる。だから、人権思想を啓蒙した大石誠之助を名誉市民にすることによって、人権の大切さをみんな学ぶことになると、ずっとやってきたんや。大石議員がそんな人権のことを言いやるの聞いたこともないし。 それで、なぜ大石誠之助を名誉市民にするか。
私たちの名誉市民である大石誠之助は、我が国が民主主義でなかった時代に無実の罪で処刑されたものを、現在民主憲法の下で我々後輩が名誉を回復することができたのであります。それはさきの太平洋戦争で350万人とも言われる国民の犠牲の下に授かった民主憲法のおかげであります。
私は、この福祉行政を最優先する市役所の職員や、子供の教育に携わる学校の先生方を馬の鼻先にニンジンをぶら下げて走らせるような軽薄、愚劣な醜い人事評価制度を見直そうとしない速水教育長を、貴賤上下の別なく仁術・医術を施した大石誠之助を名誉市民に頂いている新宮市民としてのプライドにかけて、新宮市の教育行政の最高責任者として認めるわけにはいかないのであります。 よって、本案に反対の意見といたします。
いいですか、今言った至誠通天、誠、これは、教育長、平成22年に市民から大石誠之助を名誉市民にしてくれという陳情が上がったんですよ。しかし、市長はこれに応じなかった。応じなかったんで、ならば、名誉市民の推挙は市長の専権だったんですよ、それでやむを得ず議会からも推薦できるようにしようということで、名誉市民条例の改正案を提案したんです。平成22年ですよ、10年前。ところがこの議案が否決された。
なぜかといいますと、上田君も僕も一緒に同席したんやけれども、大石誠之助の名誉市民の授与式典どうするかいうて、東京の外国人記者クラブへ行って、辻原先生の御配慮で、伊作の孫に当たる親族の方、どうするかこうするかという話の中で、立花利根さんが一番ええんやないかという話になって、東京行って、食事しながら会談中に、僕と市長はもう3月議会でやりたいなと。
大石誠之助先生のような大金持ちの家であっても自分でアメリカに船で渡って医学を勉強して帰ってきて、船町に太平洋食堂をつくられ貧しい人に医療費も取らずにやられた。だからちょっとずば抜けているんです、こういった方。尾鷲から串本でこういう偉大な人ってないんですよ。だからやはり新宮人と言われるんかなと思って。だからこれはもうずっと明治からこうして築き上げられた歴史です。
やはり一番心に残っているのは、大石誠之助を名誉市民に、市長と一緒に東京で、市長と2人で、前で、立花利根さんが2月14日は私の誕生日やと。前田議員はどうしても2月14日に何とかしたいという思いが強かったので、僕と市長はその当時、3月議会でやっていかんと無理やでと。ただ、利根さんが、2月14日、私の誕生日よと。
だから新宮市民として、大石誠之助を名誉市民に推挙している新宮市民のプライドにかけて、こういう差別的な制度を実施している田岡市長と速水教育長を、教育長と認めたくない、認めないんです。分かってくれますか。私は認めない。新宮市民、大石誠之助を名誉市民に推挙しているこの誇り、新宮市民であることを誇りにしているのに、その市長、教育長がこんな差別制度を行っていることで、私は認めなくないんですよ。
それで、教育長、伊作と大石誠之助は、僕はセットやと思っています。大石の影響がなかったら伊作は、佐藤春夫もそうですけれどもこれは大事な二人です。このことについて、僕、小学校中学校で、新宮市にこれだけの非常に大切な方がおるのに、教育の一環としてもっともっと授業や見学、勉強会、そういうものをじかに僕はやるべきやと思うんですけれども、いかがですか。
昨年1月24日、この議場で大石誠之助先生の名誉市民授与式がとり行われました。その後、人権を学ぶなら大逆事件からと、浄土真宗、臨済宗を初め各宗派の皆様方、そして多くの方々が新宮の地を訪れています。 これからも人権尊重のまち新宮市にふさわしいまちづくりに取り組まなければなりません。市長の決意をお聞かせください。
そして、若かりしころ独学でアメリカに渡られた大石誠之助先生みたいなすごいお医者さん、人様にお金を取らず無料でやった。こんな人物もいらっしゃるんですよ。 そして教育では、世耕弘一先生がつくられた近畿大学、今、全国有数の近畿大学といえば有名になっているじゃないですか。そして、大正のデモクラシーをよみがえらせる西村記念館、旧チャップマン邸。すばらしいところなんですよ。
そしたら、平成22年に大石誠之助を名誉市民に推挙するように、条例を改正して議会から推挙できるようにしようということで同僚議員が条例改正提案をしたんや。これ否決されたんや。ところが、この間、平成29年になって同じ議案が出された。そしたら、今度は可決になったんや。可決になって、大石誠之助先生は新宮市の名誉市民に推挙されておる。ならば、平成22年の議会の判断は間違うとったということですか。
まず、13年間の長きにわたり、粘り強い行動力による宮城県気仙沼市との友好都市提携と岩手県一関市との友好促進、それと栃木県白鴎大学野球部の高田への合宿誘致、大石誠之助先生の名誉市民への大きな働き、この26日ですが、広島県三原市の市長と議長が来新されますが、これは瀬古市長時代、三輪崎との交流があった三原市との議長外交による交流復元への働き、それと新宮城復元、そして熊野川の濁水・治水対策へ向かっての国交省
ことしの1月24日、大石誠之助先生にこの議場で名誉市民の称号が授与されました。先般、熊野新聞、9月11日付だったんですけれども、ここでこういう記事がありました。「許されざる者」をめぐって辻本館長が誠之助について講演と。県立新宮高校の文化祭2日目の8日、同校講義室で新宮市立佐藤記念館の辻本雄一館長が「許されざる者」をめぐって、テーマに講演をしたと。主催は同校同窓会が主催したということです。
その2年後に、市民から大石誠之助を名誉市民にしてくれという陳情が上がった。それが市長にしてくれというけれども、市長が議案提案してくれんから、そのときは市長しかなかったんで。議会へ出してきたんで、議会で推挙できるように条例を変えようということで、議案が提案された。それは否決された。もちろん私は提案せえということを主張した。しかし否決されたんや。
その平成24年、そのときに関連して、私はあなたにここで大石誠之助を名誉市民に推挙するべきだと、提案するべきだと、議会は市民の代表機関なんだから提案して、市民の意見を聞けと言うたんやね。そしたら、あなたは時期尚早だと。犯罪の宣告を受けている人を名誉市民にしていいかどうか、倫理もあるし市民の反対意見もあり時期尚早だとあなたは提案してくれなかったが、大石誠之助は名誉市民になっているじゃないですか。
◆8番(辻本宏君) 今回も新宮市の名誉市民、大石誠之助氏の御推挙なんですけれども、大石誠之助さんというのは、もちろん子孫がいらっしゃいます。その子孫の方々のお気持ちというのはどうあるのか。名誉市民を条例では記念品、表彰状を贈呈するというふうになっていますので、その点はいかがなんでしょうかね。この大石誠之助さんには、もちろん子供さんやお孫さんがいらっしゃる。
ですから、私はこの人事評価制度に反対することと、大石誠之助を名誉市民に推挙することに賛成すること、みんな一緒なんです。全てこの仁義に裏打ちされているわけなんです。だから大石誠之助はその医術をもって貧富を問わず、差別せず、貧しい人にも仁術を施して助ける。そして、戦争に反対する。
続けますけど、神武天皇と八咫烏、熊野詣と門前町、水野忠央と新宮城水野家墓所、日本一の国宝古神宝類、神倉神社とお燈まつり、天文学の畑中武夫と美しい宇宙への旅、新宮の赤ひげ先生大石誠之助や童謡「はとぽっぽ」、「お正月」の東くめ、大正ロマンと建築家西村伊作たち、おいの伝説と浮島の森、鈴島恵比寿神社、久嶋弁財天と海洋開発、新宮十郎行家と源平記、熊野川と川下りの復活、江戸千家の創始者川上不白と茶道、このように
それで、大逆事件の石碑から案内を始めて、西村記念館、浮島、峰尾節堂の墓、大石誠之助、高木顕明の墓などを案内しました。速玉大社、佐藤春夫記念館へ案内をしました。 そこで、この宿泊先のせい流荘の迎えの時間まで少し時間があったので、私は、神倉神社を紹介いたしました。どうですかと、行ってみますかと。それじゃ、喜んでいきたいと、こういうことでありました。